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海外キャリアから一転!徳島県で地域密着ビジネスに挑む若手女性実業家ーー合同会社RDND 坂野晶さん【Social Leader Interview】

海外で働くか、地域に根ざした活動をするか。 学生時代から世界を舞台に活躍し、現在は徳島県上勝町に根ざしたソーシャルビジネスを行っている女性実業家・坂野晶さんにインタビュー! 彼女はなぜ海外キャリアから一転し、日本の徳島を活動場所に選んだのでしょうか?

 

関西学院大学卒業。在学中にアイセックに所属し、モンゴル支部の元代表を務める。卒業後はDHLフィリピンで国際物流に携わる。2012年に徳島県上勝町で合同会社RDNDを共同設立し、現在は徳島県上勝町でソーシャルビジネスを展開。

■ 合同会社RDND:http://rdnd-kamikatsu.com/

 

やりたい事をやり続けた大学生活

ーー坂野さんはどのような大学生活を過ごしましたか?

ひと言で表すと、「やりたい事を自由にやった」大学生活でした。

小さい頃から将来は何か環境に携わる仕事がしたいという思いがあり、環境について学ぶために関西学院大学の総合政策学部へ入学しました。

それと同時に、1年生の春にアイセックに入りました。
もともと海外への関心はあったものの、大学生活で特に海外の活動がやりたかったという訳ではありません。(笑)
先輩方が面白みのある人ばかりで、「1年違うだけでこんなに凄いんだ……!」と思ったのがアイセックに入ったきっかけです。

それから大学生活はずっとアイセックを続けることになったのですが、5年間で色々なことに挑戦しました。

1年生の終わりには、海外インターンシップに参加しました。
そこで、自分ができることできないことを知り、周りの人をどう巻き込んでいくかという「人との恊働」を学びました。

 

プロジェクトリーダーや大学支部の代表などを経験し、4年目は大学を休学してアイセック・ジャパンの事務局メンバーとして活動していました。
組織経営やチームで活動すること、企業と恊働することなど、様々なことを学びましたね。

そして4年目を終えた後、自分がアイセックの活動の中で好きなのはやはり海外との関わりだなと思ったんです。
それならもっと日本の外に出てみようと思い、大学5年目はモンゴルへ行ってアイセック・モンゴルの代表を1年間務めました。

 

女子大生、単身モンゴルへ行く

ーーなぜモンゴルを選んだのですか?

モンゴルという国に決めた理由ですが……特にこだわりはありませんでした。(笑)

どうせ海外のアイセックに行くなら、自分が組織の方針を作っていける所がいいなと思ったことと、他の日本人があまり行かないような国に行こうと思ったんです。
そんな中、国際会議で聞いたモンゴルのアイセック設立計画を思い出しました。

また、モンゴルは日本がODAで支援している国で、昔から文化的な関わりもある親日国なんです。
鉱産業が進み、これから伸びていく注目の国。
日本人として行く意味もあるのではないかと思い、モンゴルを選びました。

ーー女子大生が単身で1年間モンゴルへ。不安はありませんでしたか?

初めてモンゴルに降り立った日の季節は冬でした。
尋常じゃないくらい寒く、外は気温マイナス30度の何もない雪原。

さすがに、「私、来るとこ間違えたかも」と思いましたね。(笑)

でも、モンゴルの人はみんなあたたかい。
人と人の距離が近く、暮らしの密着具合はすぐ好きになりました。

治安はもちろん日本より良くない点もありますが特に問題はありませんでした。

 

ーーモンゴルでの一年間、どんなことがありましたか?

うまくいかないことはたくさんありました。

複数国から集まったメンバー同士の意見の衝突はもちろん、組織の財政の不安定さから生活補助が出せず、やめてしまう海外からのメンバーもいたり。
「人もいないし、お金もないし……どうしよう!」という気持ち。

代表の任期が終わる頃にも、後任が在留申請をきちんとしておらず、国外退去で1年間モンゴルに戻ってこられなくなり、突如後任を失ったり。

とにかく人員的トラブルが多くて難しかったですね。

けれどトラブルに陥ったときは、落ち込むよりもまず「どうしよう」という気持ちが先に出てきました。

何かあってもくよくよせず、「落ち込んでいる暇はないぞ!」と対策を考える。
そういった困難にぶつかったときの対処法が鍛えられました。ちょっとした事であまり動じなくなったかも。(笑)

このモンゴルでの1年は、世界中の同じ目標に向けて頑張っている各国代表の仲間と一緒に疾走できた学生時代の貴重な経験ですね。

モンゴルからフィリピンへ、世界を舞台に働く

ーー大学を卒業し、活動の拠点はモンゴルからフィリピンへ。卒業後のキャリアをフィリピンに選んだのはなぜですか?

折角モンゴルまで来たのだから、もう少し海外でチャレンジしたいなと思いました。

そこで色々と仕事を探していたところ、日本でアイセック活動をしていた際の知り合いから「フィリピンのDHLで日本人の営業を探しているんだけど、どう?」という紹介をもらい、フィリピンで働くことにしました。
(※DHL:航空機を主体とした国際宅配便、運輸、ロジスティクスサービスを扱う国際輸送物流会社)

実は他にも、メキシコの別会社で似たような営業の仕事の紹介ももらっていたのですが、メキシコ料理があんまり好きじゃなかったのでフィリピンを選びました。(笑)

結局選択とはそういったもので、「何のために、何をするか」は重要でも、行き先はあまり重要ではないと思っています。

 

ーーフィリピンではどんな仕事をしていたのですか?

上司はドイツ人と中国系フィリピン人、そしてインターン生の韓国人がいる、というインターナショナルな環境で、日系の法人営業を一手に任されていました。

DHLでは仕事のノウハウは「教えてもらうよりも実践から学べ!」ということで即現場で実務に携わり悪戦苦闘しましたが、3か月くらいで一人立ちできるようになりました。

本当の人生は、居心地の良い場所から抜けだしたときから始まる

ーー海外での活動で1番感じたことは何ですか?

”Life Begins at the End of your Comfort Zone” 。
本当の人生は自分が既にいて心地いい空間から出て初めて始まる、という意味の言葉です。

海外で予想外のことは起こって当たり前。うまくいかない事のほうが多かったです。

そんな環境でモンゴルの代表として、自分が正しいと思うことをやるのか、それとも物事を成し遂げるのか、どちらかを選ばないといけない機会は多くありました。自分の信ずることを貫くのも大切だけれど、それだけを考えていたら物事が進まないこともある。

結局は、何を達成しなきゃいけないのかという「ゴール」があり、それを成し遂げるために何かをするということが大事だと感じましたね。

特に、海外などの自分の範囲外の場所で何かする場合は尚更です。

世界では、私の常識は相手にとって非常識かもしれない、相手の常識は私にとっての非常識かもしれない。
多様なバックグラウンドを持つ人々と恊働する海外での活動は、刷り合わせがとても重要でしたね。
モンゴルでも、毎日刷り合わせをしっかりしました。

それでも、上手くいかなかったことのほうが多かったかも。

海外から一転、徳島の田舎町へ

帰国後、徳島県の上勝町という町でソーシャルビジネスを始めた坂野さん。 上勝町は徳島県の真ん中にある人口2000人以下の町で、町に信号機は1個だけ、1番近いコンビニは車で15分の隣町、ほとんどのお店は17時に閉店、という田舎町。2012年に合同会社RDNDを設立し、現在はそんな上勝町を世界に誇れる町にして後世に引き継ぐために、カフェや教育、オンラインショップなどのビジネスを展開されています。

 

ーー上勝町でソーシャルビジネスを始めた理由は何ですか?

関西学院大学のアイセックで、同じプロジェクトで活動していた東輝実という女性がいて。
実は、その彼女が現在徳島で一緒に会社を経営している人なんです。

上勝町を知ったきっかけは、彼女の出身地だったから。彼女の「将来地元に帰って格好良く働く母になりたい」という想いを聞き、大学1年生のときに上勝町を訪れた以来の繋がりです。

上勝町は、おばあちゃんたちが元気に働く「葉っぱビジネス」の発祥地、ゴミや無駄をなくす「ゼロ・ウエスト」宣言を日本で初めて行っているなど、実はユニークな町としても知られています。

行く度に面白い出会いがあり、初めて訪れた大学1年生のときからずっと上勝町での活動に対する思いはありました。

海外にいながらも上勝町の東と連絡を取り続けており、カフェ建設の話が具体的になってきた2012年末に合同会社を設立し法人として活動することになりました。その時私はまだフィリピンにいましたが、いずれは日本に戻って直接関わりたいと考えていました。

また、フィリピンでの仕事が丸2年経ち、部長というポジションも経験し、会社の中での自分の成長の限界も見えてきたんです。これ以上仕事を続けるのであれば、その先の具体的なキャリアに繋がるものでなければと感じました。フィリピンに来た当初は自分がどのくらい海外で、大手企業で通用するのか試したかったのですが、2年間でたくさん挑戦できたのでもういいだろう、と。

どこかで踏ん切りをつけて帰ることにして、2014年の夏にDHLを辞め、帰国しました。

グローバルとローカル、どちらも同じ

ーー海外と地域、どちらも経験したからこそ言えることは何でしょうか?

海外も地域も変わらないことは、コミュニケーションに労力を割くということです。

よく「海外」と「地方」は対極にあるものとして極端に捉えられがちですが、モンゴルにしろ上勝にしろ、どこに行っても「その地域によそ者として入っていく」ということは同じなんです。
自分の事をどう分かってもらうか、相手のことをどう理解するかなどはどこへ行っても変わらないと思っています。

モンゴルもフィリピンも第一言語が英語ではなかったので、現地の言葉を話したり理解しようとすること、そしてその背景にある文化や考え方まで理解しようと努力する姿勢が必要でした。今の徳島もそれに少し近いかもしれません。

地域の考え方に寄り添うことはもちろん、阿波弁を話せるかどうか、とか。(笑)

「どこでやるか」よりも「誰とやるか」

ーーモンゴル、フィリピン、日本と様々な場所で活動されてきた坂野さん。今後はどんな場所で活動していきたいですか?

海外から日本の上勝町へ戻ってきて、より深く思うようになったことは、私は一生一拠点の生活は出来ない人間だ、ということですね。
私は、ひとつの所にずっといるタイプではない。
かと言ってどこへでも流れていくノマドというタイプでもない。

なので、根の生えた拠点を2、3ヶ所持って活動していきたいですね。

 

ーー最後に、海外でも地域でも活動したいと思っている大学生へ、メッセージをください!

海外か地域か、とは深く考えすぎずに、面白いと思った場所ややりたいと思った場所にまずは行って、やってみる事が大事だと思います。

「どこでやりたいか」を考えてできることは少ないですが、人との縁があってできることはとても多い。

多くの人に会いに行ってみて、自分が「この人と一緒に何かやりたい」と思う場所でやることが1番良いのではないかと思っています!

 

YouthSpeak Media編集部

YouthSpeak Media編集部

YouthSpeak Media編集部。NPO法人アイセック・ジャパンのメンバーが中心となって運営しています。

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