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「社会課題解決って偽善ちゃう?」【Youth Report】【連載1】番匠谷拓実

こんにちは。神戸大学を休学し、「社会を良くする人たちのプラットフォームアプリ」を作ろうとしている番匠谷拓実です。

今回は連載1回目ということで、自分が経験した「社会貢献に対して批判されたこと」と「自分にとっての社会課題解決の意味」についてと、その経験からこれから僕が何をしていくのかを書いていこうと思います。

 

なんでこの生き方が批判されるんや

 

僕は2017年の春にアイセックの海外インターンシップに参加しました。

カンボジアのスラムにあるNGOの作った学校で、衛生と英語の教科書を作成するという業務を現地で行いました。

色んな人に助けていただきながら教科書を残して、僕は少し満足して帰国しました。

そして帰国後、中学の時の仲のいい友達とマクドナルドで自分のインターンシップについて話していたら、その友達に「社会貢献とかって何の意味があるん?」と言われました。

彼の主張は社会を良くしても自分が幸せになるわけではない。自己犠牲して意味があるのか。それは自己満足の偽善じゃないのか、というものでした。

その話し合いを通して僕が感じたことは、「ああ、こんな考え方しかなかったら社会問題に取り組む人は増えないし、解決はどんどん遅れる。」と思いました。

また、最近はボランティアなど社会貢献みたいなことをしたら何かと「意識高い」と揶揄されます。社会を良くする人が生きづらく解決に協力する人も少ない現状の社会では、この世界は一向に良くならない、と思いました。

 

しかし、僕は社会課題解決が偽善や自己犠牲ではないことを知っています。

それはこのカンボジアでの海外インターンでの経験で知ったので、そのことについてここから書いていきます。

 

“社会課題解決”に気持ちが乗らなくなった

 

僕は幼い頃から社会問題に興味がありました。

同時多発テロのニュースを見て泣いたこと、ビンラディンが家に来た夢を見たこと、戦争がなくなるよう願っていたことなど、社会を良く変えたいと思うことが多くありました。高校では在日差別とか人権、貧困、教育などいろいろなことに少しずつ興味が湧きました。先輩ROCK YOUというテレビ番組で乾パンを集めて途上国に配っている話を見てこんな人になりたいと思ったりもしました。

 

そして、大学一年生が終わった春休みにアイセックの海外インターンに参加し、カンボジアに行きました。ついに社会問題を自分の目で見て、解決できるぞと意気込みました。でも、行ってみたら現地のスラムの子どもたちは幸せそうでした。しかもテレビなどで見ていた、ある意味 “夢にまで見たスラム” が、いざ見てみるとただの場所や光景でしかなくて、「解決しないと… ! 」とは思えなくなりました。教科書も作ろうと考えましたが毎日作っていたらしんどくて、 "社会問題を解決する" という言葉や考えに気持ちが乗らなくなっていきました。

 

 

しかし、子どもたちやインターン先のNGOの仲間と毎日関わる中で、カンボジアという国や、そこで仲良くなった人たちが好きになっていきました。特に仲良くなったのはピサーという子です。僕がしばらく教室に顔を出さなかったら、彼女は、一緒に働いていたボランテイアの職員に僕の人形を紙で作って渡してくれました。

 

 

 

好きな人たちが社会問題で苦しむのを変えたい

 

子どもたちやNGOの仲間のことが好きになってから、問題の見え方が大きく変わりました。

 

 

自分は "社会問題を解決したい" のではなくて、

"社会問題で自分が好きな人たちが苦しんでいるのを解決したい"

と分かりました。

 

この子たちがちょっと怪我したらそこから菌が入ったりしてすぐ死ぬようなゴミ山の中のスラムで暮らしていることや、このまま育っても英語を話すことができないと、少ししか給料をもらえないことなどに、すごく悲しく感じました。少し衛生面の知識をつけて日々の習慣を変えたら生きることができるし、英語を話すことができたら給料が2~3倍になる。そんな状況で、僕は衛生と英語の教科書をスラムの子たちにも分かる内容で作成することにより、この子たちの未来を明るくできるかもしれないと思いました。

教科書を渡す当日、子どもたちが集まってくれて、いつもうるさい子どもたちも、通訳してもらいながらの自分の話を静かに真剣に聞いてくれました。”子どもたちの未来を明るくしたい”という僕の想いを静かに聞いてくれ、一人一人手渡しで教科書を渡していきました。子供たちはまっすぐな目で、「ありがとう」って言いながら受け取ってくれました。その時に「これが自分のしたかったことだ」と思い、彼らの笑顔と彼らの未来が少し明るくなったと確信して幸せになりました。「社会課題解決がしたい」と言っていた時の自分がわからなかった感覚を、今味わってるんだなと感じました。

 

 

「社会課題を解決したい」というのは「自己満足や偽善」と言われるもので、

「社会課題で苦しんでいる人を幸せにしたい」というのは「自己実現と他者貢献」だ。

 

このように感じることができたのは、自分が実際に取り組んでみたからだと思います。しかし、ぼくに「社会貢献は偽善ちゃう?」と言った中学の友達も、社会貢献的な活動をしている人が自己犠牲や偽善の気持ちでやっていないというのが社会全体で理解され始めたら考えも変わるのかなぁと漠然と思いました。

 

 

 

社会を良くする人たちの繋がり

カンボジアから帰ってきて、友達に偽善だと言われたあと、僕は「とにかく自分は社会課題で苦しんでいる人を幸せにするために、社会を良くしよう」と考えました。その後、何かに取り組みたくて、ソーシャルビジネスをしてる人や同じような想いをもった学生と繋がって話したいと思いました。

しかし、Facebookでは繋がりがないし、実際に友達ではないのに友達申請したりメッセージを送るのはマナーが悪いと言われることがあります。イベントに行くのもお金と時間かかる。なんでインターネットが普及したこのご時世に簡単に自分が繋がりたい人と繋がるのにコストがかかるのかと不満を覚えました。

自分がそうであれば、おそらくもっとたくさんの人が繋がりきれておらず、また共創も生まれていないのではないかと思いました。

 

 

自分がこれからしていくこと

以上、自分が経験した「社会貢献に対して批判されたこと」と「自分にとっての社会課題解決は自分の好きな人が苦しんでいるのを解決することだとわかったこと」と「社会を良くする人たちの繋がりが薄いと感じたこと」の3つの経験から、自分がこれからしたいことが少しずつ見えてきました。

 

社会を良くする人たちのプラットフォームを作り

繋がりと共創を生み

社会貢献に対する「自己犠牲」「偽善」という考え方を

「自己実現」「他者貢献」という考え方に変えること

 

これが自分のしたいことです。

繋がりと共創を生むことと、考え方を変えることはバラバラですが、それを1つのことで変えたいと思います。

 

どう変えていくのかについてはまた次回に詳しく書きたいと思います !

 

 

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番匠谷 拓実

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